監査コミュニケーション技法-交渉の基本知識-

はじめに

内部監査部門は職務上の義務・責任として監査を行うとともに、改善提案を被監査部門に対して行います。

内部監査を全く知らない方は、内部監査という用語から来る独立的なイメージにより、かなり自由に、或いは上から目線で現場部門に指摘したり改善要請している、と思うかもしれません。

しかし、それは全く実態と異なります。貴方が内部監査人ならすぐにそうした考えを捨てることを強く推奨します。

内部監査部門の権限・立ち位置は一般の事業会社では弱く、特に若手や社歴の浅い監査人に対する指摘や提案は、ベテランの叩き上げ現場部門の責任者らは歯牙にもかけないケースもしばしばです。監査という立場からの意見を受け入れてもらうことは、重要な問題ほど難しいと考えるべきです。

内部監査人としては、先ず第一に誠実性・倫理観を前提に、事実に基づき深く考え、論理的な思考の下で適切なリスクとコントロールのバランスを鑑み検出事項や改善提案をしていく必要があります。

ただ、提案相手が人間である以上こうした監査での専門的な技法以前に、一定の監査コミュニケーション技法つまり交渉術を理解しておくことも時には必要です。

ここでは交渉に関する基本的な知識を踏まえ内部監査業務の実践での実例を紹介致します。

交渉の基本知識と内部監査業務への応用

フレーミング・エラー

フレーミングエラーとは認知バイアスの一種です。肯定的に伝達された情報はポジティブに、否定的に伝達された情報はネガティブに捉える傾向を指します。

フレーミングエラーについてはアイオワ大学が行った実験が有名です。
・実験対象者の半数には「ガンの治療は50%の割合で成功する」と説明し、逆にもう半数には「ガンの治療は50%の割合で失敗する」と説明し、対象者の反応を調査しました。
・その結果、前者は後者よりもガン治療を肯定的に受け止め家族や友人に勧める傾向があることが分かりました。

確率を考えた際は前者も後者も全く同一の条件であることは分かると思いますが、表現次第で選択や反応が大きく変わってしまうのです。体感的には理解できる概念だと思います。

【内部監査への応用】
内部監査では内部統制上の諸活動に対して、不備指摘を行う場面が多いですが不備の程度を表現する際等、フレーミングエラーの概念を理解しておくとよいでしょう。

A:「本番環境へのプログラムリリース案件のうち、全体の30%にあたる30件で責任者の承認を受けないでリリースしていた。残70件では責任者が承認してからリリースしていた。」
B:「本番環境へのプログラムリリース案件のうち、全体の70%にあたる70件で責任者が承認をしていた。残30%では担当者による判断でリリースしていた」

AもBも基本的には同じ内容です。しかしAは承認を受けていない30%の案件に焦点が当たっており、「出来ていないこと」の印象が強くなっています。

内部監査は報告して終わりではなく、その後も改善の計画や実施、フォローアップと続きます。リスクの度合いを薄めて伝えることはよくありませんが、過度に不備を強調し過ぎると問題の過大評価や、相手側との関係性を棄損することなりかねないので注意が必要です。

BATNA

BATNAは交渉に関するビジネス学を学んだ人は知っている方も多いのではないでしょうか。

これは「Best Alternative To Negotiated Agreement」の略で、直訳すると「交渉による合意の次に最も良い代替案」というところでしょうか。端的にいえば、「交渉決裂のときの代替案(セカンドプラン)」がBATNAになります。

交渉が自分の企図と違う結果を迎えた際に、自分が、そして相手がどのような行動を取るのかを予め想定することは重要です。

【内部監査への応用】
本調査が完了し一通りの手続きが完了した後、通常は監査上の指摘事項と改善提案について、被監査部門に説明し意見交換を行うフェーズになります。

内部監査部門としては、リスクに照らして改善を提案をしてほしい場面でも、現場側ではコストや業務効率、利便性の点から同意しない場合も当然あります。こうしたハレーションとなり得る指摘をする際は特にBATNAを想定することが重要になります。

例:クラウドサービス事業での内部監査において、顧客の重要データに対して二次的なバックアップを取得しておらず、かつ、本番環境での各種作業が手動でされており、ヒューマンエラーでの消失リスクが高いと判断した場合。

内部監査人としては、重要データを本番環境以外にデータダンプ等でバックアップを取得することを提案したいのですが、現場はコストの兼ね合いから難色を示すことが考えられます。

この際のBATNAとしては下記が考えられます。
・「本番環境での変更手続のチェック体制強化」→ヒューマンエラーの発生リスクを低減する。
・「顧客に対して現状のバックアップ状況説明、有償二次的バックアッププランの提示」→データ完全性要求の高い顧客に必要な措置を提示して透明性と納得感を与える。

内部監査の改善提案は基本的には、現状の活動が許容可能なリスク水準を下回っている場合に行います。

そもそものリスクの大きさと活動の程度により、改善提案するプロセスや仕組みの程度や量は異なりますが、最低限度必要な措置を念頭に置くことは大切です。

これにより「オールオアナッシング」の状況を避け、内部監査としての業務責任を果たせるような一定の改善を促すことが出来るようになる筈です。

初頭効果と親近効果

両方とも交渉における心理効果です。

初頭効果

「初頭効果」は最初に提示された内容に人は最も影響される、という考え方です。

初頭効果の分かりやすい説明として、ポジティブな内容とネガティブな内容を順番だけ変えて説明した場合の印象の差が上げられます。例えば、
A:「思慮深く、冷静で、家族思いで、仕事熱心。でも。嫉妬深く、厳しすぎ、細かいことにこだわり、冷たい人」
B:「嫉妬深く、厳しすぎ、細かいことにこだわり、冷たい。でも。思慮深く、冷静で、家族思いで、仕事熱心な人」

上記の場合、Aでは比較的ポジティブな印象を、Bではネガティブな印象を人に与えるとされています。

面接や営業などで第一印象がその後も大きく影響するとよく言われますが、これも初頭効果の例とされます。

親近効果

「親近効果」とは最後に提示された内容に最も影響される、という考え方です。

親近効果はアメリカの心理学者による模擬裁判を使った実験により1970年代に提唱されました。

この実験では対象者に陪審員となってもらい、弁護側・検察側の証言順によって、対象者の結論がどのように変化するかを観察するものでした。その結果、対象者は最後に証言した側が弁護側なら弁護側、検察側なら検察側に有利な結論を出しました。

この実験では人は最後に得た情報に影響されやすいという結論を導いています。

2つの考え方の使い分け

【内部監査への応用】
初頭効果と親近効果は真逆の考え方です。内部監査の業務においてはどのように使い分けるべきでしょうか。

一般的には相手側の関心の度合いによるとされます。つまり、交渉相手の関心が低い場合は初頭効果が有効であり、逆に高い場合は親近効果が有効とされます。

つまり関心が低い相手には最初になるべく耳目を引くようなインパクトのある内容を提示して、相手の興味や関心を引き付ける必要があります。

内部監査の報告においては、一般に相手側り上位責任者は強い関心を持たないケースも多く、重要な事実や指摘は後半ではなく前半に持っていき相手の目をこちらに向けるなどの使い方が考えられます。

返報性の原理

相手から何かを提供されると、こちらも「お返し」をしたくなる心の働きのことです。

交渉術においては、先に相手側に譲歩を示すことでそれ以上の見返りを期待する形で、この特性が使用されます。

【内部監査への応用】

内部監査をされて嬉しい部門は、存在しないと言っても過言ではありません。内部監査の初期に相手側への協力を求める際に、この原理を頭の片隅に入れておくとよいでしょう。

例えば計画説明においては、予め過去の相手側提出資料を集めておく、資料入手(印刷等)は手伝う、MTGは相手の都合の良い日時で行う等を告げておくとよいでしょう。このように「汗をかいて」見せて後、監査ヒアリングや資料提出への協力を求めれば比較円滑に受け入れがされるのではないでしょうか。

エスカレーション・オブ・コミットメント

誤った行動を止めること、もしくは認めることに対する恥ずかしさ・当惑を回避するため、本来とるべき行動を取れない≒誤った行動を取り続けること。これがエスカレーション・オブ・コミットメントです。

ビジネスの中では下落した株式を「損切り」できず保持し続けたり、企業が採算に合わない投資をし続けてしまうなどの行動について、この概念が説明されます。

【内部監査への応用】
時折「ネガティブフィードバックを積極的にしてほしい」というリーダーもいますが、実際にこれを真に受けて苦い思いをした人もいるのではないでしょうか。

多くの人にとって、自分の失敗を指摘されたり認めることは、強い心理的抵抗を伴います。

内部監査人としては、会社を良くするためというポジティブな思いで問題指摘をしている積りでも、受け取る相手側にとっては論理の正しさはさておき、不快な感情を持つケースが圧倒的に多いことは必ず強く理解すべきことといえます。

こうした感情への配慮なくして、円滑な改善には至ることが出来ないものと思うべきでしょう。

最後に

コミュニケーション技法のひとつとしての交渉に関する基本的な知識・用語と、内部監査業務の場での使い方について一例を説明しました。

こうしたことは「嗜み」としては大切な教養であり、場合によっては多いに役立つこともありますが、何より内部監査人として誠実性・倫理観・使命感が被監査部門からの信頼となり、最終的な成果につながることも忘れてはならないでしょう。

こうした基本的な姿勢を持ったうえで、適宜上記の考え方も参考として頂ければ幸いです。

[参考文献]
・CIAテキスト Part3-1 株式会社アビタス 2016

[参考サイト記事]
・なぜ”損切り”ができない? ベンチャーキャピタリストの葛藤
https://naibu-kansa.com/wp-admin/post.php?post=1212&action=edit
・交渉上手は頭の中にBATNAやZOPAなどの構造を描く
https://globis.jp/article/5566
・情報を伝える順が大事!「初頭効果」と「親近効果」を使い分けよう
https://ferret-plus.com/10239

【参考】その他内部監査の諸課題、現場のリアルな悩みやその対処についてまとめた記事があります。良ければ合わせてお読みください。

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投稿者プロフィール

ネット企業の監査人
ネット企業の監査人ネット系事業会社 内部監査室 室長
J-SOXバブル時に内部統制コンサルに。以来通算13年間内部監査・内部統制・リスクマネジメント・セキュリティ業務に従事しています。

自身の学びも兼ねて、縁があって内部監査を始めよう/既にしている方達に少しでも役に立つ、現場の情報をお伝えしたいと思います。

【保有資格】
・公認内部監査人(CIA)
・公認情報システム監査人(CISA)
・内部統制評価指導士(CCSA)
・公認情報セキュリティマネージャー(CISM)
・Certified Data Privacy Solutions Engineer(CDPSE)

【所属】
・日本内部監査協会会員
・ISACA東京支部会員
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